アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「北朝鮮」の呼称がもつ差別性・植民地主義

2018年03月03日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本

     

 最近感銘を受けた論考があるので、少し長い抜粋になりますが、紹介します。筆者は足立昌勝氏(刑法学者)です。

 < 朝鮮半島には、二つの国、大韓民国朝鮮民主主義人民共和国が存在する。そのどちらの国も、国連に加盟している。一つの民族が二つの国に分断されている場合、便宜的に国名に東西南北をつけて、両者を区別しているのが通例である。たとえば、かつての西ドイツと東ドイツ、北ベトナムと南ベトナムなどである。

 これに対して、朝鮮半島に存在する二つの国は、日本では、「韓国」と「北朝鮮」と呼ばれている。…なぜ日本では、「韓国」と正式名称を用いながら、朝鮮民主主義人民共和国を「北朝鮮」と呼んでいるのであろうか。

 それは、日本政府が朝鮮民主主義人民共和国を国家として承認せず、国交を樹立していないことに起因している。また、その奥にある心理意識としては、差別を見ることができる。

 昔の日本政府発行のパスポートでは、渡航先として朝鮮民主主義人民共和国だけが除外されていたことからも明らかなように、日本政府は、朝鮮民主主義人民共和国を敵視し、差別しているのである。このような政府の意向が市民の意識に反映され、日本全体で差別意識を醸成しているのだ。

 20世紀に植民地を獲得した国は、日本だけである。特に朝鮮半島の植民地化は、何の理由もない暴挙であった。この歴史的事実を直視せず、敵視政策を推進することは、全くナンセンスなことである。

 今一番大切なことは、私たち自身が歴史を直視し、過去を総括することである。

 日常的に使われている「北朝鮮」という言葉は、何気なく使われているかもしれないが、そこにある心理状態は、日本政府が推進している敵視政策が反映されたものであり、差別意識に満ちたものである。

 この現実を打破し、歴史を直視した関係を作るためには、私たち一人一人が自己改革しなければならない。そのうえで、「北朝鮮」という呼び方はやめ、正式国名である「朝鮮民主主義人民共和国」というか、略称として「朝鮮」と呼ぼうではないか。>(「月刊 靖国・天皇制問題 情報センター通信 2018年2月号」)

 「北朝鮮」という呼称が持つ差別性はたんなる差別ではありません。

 「北朝鮮」という呼び方は、それ以前の「北鮮」「鮮人」などの差別用語とともに、さかのぼれば「韓国併合」(1910年)に行きつきます。

 「一九一〇年以前には、『鮮人』という言葉はまったくなく、韓国人・韓人・韓民という言葉を中心に、朝鮮人という言葉も併用されていた(注・朝鮮人自身が自国を呼ぶ正式名称は1897年までは「朝鮮」、同年10月16日に「大韓帝国」に改称―引用者)。それが、一九一〇年八月の『日韓併合』とともに、朝鮮が国家であることを否定する意図から、従来の『韓国人』『韓人』の使用が禁止された」(内海愛子氏・梶村秀樹氏『朝鮮人差別とことば』明石書店)

 そして1948年、アメリカが李承晩かいらい政権をつくるため、南朝鮮単独選挙を強行。同年8月15日に「大韓民国」、続いて同年9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」という二つの国が発足しました。

 「一九四八年にも一度言葉を問い直す機会があったはずである。…現実に存在する二つの国家をさすばあい、それぞれの正式名称ないしその略称としての『朝鮮』『韓国』を以って表現するのが当然となったのである。にもかかわらず、国家をさすばあいに従来の惰性で地域名を、それも『北鮮』『南鮮』という言葉を使い続けていたとしたら、それはかつての『国』抜きの思想と帝国主義思想を引き継ぐ、国を国として認めない思想によるものと受けとられざるをえない」(内海氏・梶村氏、同前)

 朝鮮民主主義人民共和国という国家を「北朝鮮」と呼ぶことは、たんなる差別ではなく、朝鮮を植民地支配した皇国日本の「帝国主義思想を引き継ぐ」ものです。

 「日本人がたとえ無意識で(「北鮮」「北朝鮮」を―引用者)使っていたにしろ、朝鮮人は、その無意識の中にかつての支配者、抑圧者の姿を見てとってしまう…そういう現実から目をそむけて、平気で、何の気なしに、『いいじゃないかそんな神経質にならなくて』とばかりにこの言葉を使い続けられるとしたら、私たちは一体何者なのだろうか?」(内海氏・梶村氏、同前)

 約半年前、私は在日朝鮮人の友人から「北朝鮮」の言葉が持つ意味を指摘され、不明を恥じ、遅まきながら、ほんとうに遅まきながらですが、「北朝鮮」を使うのをやめました。


 

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